シンガポールの観光産業~Part1~
みなさん、こんにちは。
今日からシンガポールの産業について書いていきたいと思います。
ただ、ビジネスプランに関わりそうなものを中心にやっていこうと思います。
第一回目としては、シンガポールの観光産業 についてです。
何回かに分けて、観光産業を見ていきましょう。
シンガポールは観光に力を入れている国でもあります。
先日も、観光客、現地人のためにフリーWiFiエリアを拡大予定という記事もあったように、観光産業に熱があります。
最近ではありませんが、カジノ導入も非常に好評価を観光客から得ているようです。
そんなシンガポールの観光産業について今日は見ていきたいと思います。
観光といえば、みなさん何を思い浮かべますか?
食事?観光スポット?お土産?宿泊施設?etc...
人それぞれ思い浮かぶことがいろいろあると思います。
いろいろあると思うのですが、今回はシンガポールの観光産業を3つの観点から見てみましょう。
①シンガポールの外国人訪問者数と観光収入
(引用元:http://www.asiax.biz/life/sin-kenbunroku/238s.html)
データを見る限り観光客、観光収入が年々増加しています。
なぜここまで伸びたのか。
その答えは次にあります。
②政府主導の観光政策
先ほどの答えはタイトルにあるとおりです。
そう、シンガポールは早い段階から政府主導のインバウンド政策を行っています。
その例が次の図です。
(引用元:http://www.ari.co.jp/report/yama/sight/kanko.htm)
観光政策~TOURISM 21~で掲げる6本の柱
1. 観光が持つ意義の再定義 ~観光とは生活や産業、都市計画すべてにかかわるものであること~
2. 観光商品の再形成 ~シンガポールを世界ブランドにする~
3. 観光産業の開発 ~観光を巨大な産業クラスターとしてとらえる~
4. 新たな観光スペースの配置 ~世界の観光のハブ(中核)的機能を形成する~
5. 成功に向けたパートナーシップ ~官民と各部門の協力~
6. 未来の観光覇者へ ~資源を優先的、効率的に投入~
シンガポールは1995年に「TOURISM21」というビジョンの元、政府主導で総合的な観光振興に取り組みました。
その結果が上のグラフでしっかり表れていますね。
日本は最近になって、インバウンド産業に力を入れ始めています。
さらに「東京オリンピック招致」が追い風となり、今後、インバウンド事業はますます需要が高まりそうです。
上の図を見て分かるように、シンガポールは観光でもアジアのハブとしての機能しようと試みていたことがわかります。
政府主導で観光に力を入れていることがわかりました。
特に力を入れたのが、チャンギ国際空港のようです。
なのでここで、チャンギ国際空港の紹介です。
③チャンギ国際空港
空港は、外国人観光客をお出迎えする大切な窓口。
この空港は、すばらしい空港です。
何がすごいかと言いますと。
- 毎年恒例で行われるスカイトラックス(Skytrax)による「2014 World Best Ariport」で見事1位に輝いた(去年も1位)。
- 安全性、出入国管理の迅速さ、ショッピング施設の充実さや清潔さでも世界トップクラス。(これは、確かに私がシンガポールに行ったときに強く感じました。)
- 屋上プール、映画館、スパ、ホテル、テーマパーク施設が空港とは思えないほどあり、何時間もの待ち時間も嫌にならない、むしろ待ち時間がもっとほしくなる空港、それがチャンギ国際空港。
またシンガポールに来る
外国人観光客の75%が空路での入国しているようです。
さらにチャンギ国際空港は、
- 24時間運営(空港内ショップも24時間のところがある:日本はほぼない)
- 市街地へのアクセスが容易
- 年間6000万人旅客取扱い能力を持つ
チャンギ国際空港は朝早く着いてしまっても大丈夫。
ショップが開いているので、小腹を空かした観光客は大喜び。
空港がすばらしいものであれば、やはりまた行きたくなりますよね。
というのも、出入国つまり、シンガポールに初めて入るときも、帰るときも、最初とサ最後に訪れる場所だからです。
やはり、最初と最後は思い出に残りやすいと思います。
世界でもまれにみる、すばらしい空港、それがチャンギ国際空港なのです。
(参考元:http://news.livedoor.com/article/detail/8696352/ http://www.jri.co.jp/page.jsp?id=15859)
と、こんな感じでシンガポール観光産業Part1を締めさせていただきます。
次回はもう少し観光産業の中身を見ていく予定です。
お楽しみに。
観光産業が終わればEコマース市場についてやる予定です。
どうぞよろしくお願いします。
LeaGLOメディア事業部
岡本
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シンガポールの歴史~これだけは押さえておこう編・Part2~
みなさん、こんにちは。
こないだは少々力が入ってしまいましたので、今日は控えめに書きます。
と、その前に。
今日は、おめでたいことに、第3期生インターン紹介動画が、完成しました。
作者は、私と同じようにLeaGLOでインターン生として働いています原田さんが作成しました。
まずはそちらご覧ください。
いかがでしたでしょうか。
作成者の原田がゼロ知識から2週間で作りあげました。
インターンの魅力が伝わってくる作品ですね。
今後ともさまざまな動画を配信予定です。
どうぞよろしくお願いします。
動画については後日LeaGLOアメブロで詳しく書きます。
動画投稿に際して、LeaGLOGoogle+ページも始めましたのでそちらもチェックしてください。詳しくは
LeaGLO - 基本情報 - Google+をチェック。
さて、こちらは、引き続きシンガポールの歴史について書いていきます。
こないだはシンガポールの歴史を大まかにかつどちらかというと近代よりの出来事を書きました。
今回はもっとさかのぼって見てみましょう。
①シンガポールの起源(3世紀~14世紀)
- シンガポールが歴史書上に記録として残っているもっとも古い記述は中国の歴史書書かれてあるもので、3世紀のことです
- シンガポールは7世紀にスマトラ島のシュリ―ヴィジャヤ王国(マレー半島を中心に7世紀い興亡した)の支配下で、漁村テマセク(トゥマセク・トゥマシク呼称はいくつかあり)として知られていた。
- その後、海上交易国家として発展したシュリ―ヴィジャヤ王国は、14世紀前半にはテマセクを重要な海港として保護をしていた
- その後1377年マジャパヒト王国の台頭により、シュリ―ヴィジャヤ王国は滅び、テマセクはマジャパヒト王国の支配下に置かれた。
- このころから、テマセクはシンガプーラと呼ばれるように。
- なぜシンガプーラと呼ばれたかは諸説ある。
- 「シンガ」は寄港を意味し、シンガプーラは単なる寄港地の名称。
- マジャパヒト王国の属国の通称として使われた。
- マレー半島の伝説:シュリ―ヴィジャヤ王国の王子がテマセクで一匹のライオンを見た?会った?らしく、それが良い前兆の表れだと考え、彼がこの島を「獅子の町」つまりシンガプーラと名付けた。しかし、ライオンがいたことは文献上残っていないようなので不明。
②シンガポール中世期(15世紀~18世紀)
-
1404年?ごろ、マジャパヒト王国は内戦が起こる。内戦前(1400年ごろ)からシュリ―ヴィジャヤ王国の王子パレメスワラが身内競争から逃げるためマレー半島内を移動していた。
-
内戦前にパレメスワラがシンガプラに逃れたとき、アユタヤ王朝(今のタイ王国にあたる)の女婿であるシンガプラ王は、快くパレメスワラ達を歓迎したが、その後シンガプラ王をパレメスワラが殺害。これを機に1402年、パレメスワラはマラッカ王国を建国かつアユタヤ王朝とマジャパヒト王国の争いは激しくなった。つまり、シンガプラはマラッカ王国の支配下に。
- 1511年、マラッカ王国はポルトガルに侵略される。マラッカ王国の一部の商人や王族はシンガプラへ逃亡するも、1513年、ポルトガルがシンガプラを占領。
- ポルトガルの侵略により、シンガプラは歴史の表舞台から300年姿を消す。
- その後はポルトガルの支配の元、マラッカ海峡の一部の島として存在。
- マラッカ王国の生き残りがジョホール王国を建国。
- 1641年、オランダがマラッカ海峡の香辛料貿易の独占に成功し、ポルトガルの支配が終了
- 1819年、有名なラッフルズが上陸を果たす(イギリス人)。(このときシンガプラには150人しか住んでいなかったという)
- ラッフルズ、当時シンガプラを支配していたジョホール王国から商館建設の許可を得る
- ラッフルズがシンガプラを英語風の「シンガポール」に改称
- 良くも悪くもイギリスの支配により、シンガポールは表舞台に復活。
- 無関税の自由港政策により5年で人口1万人を突破。
③イギリス占領後~現代
- イギリスの植民地となり、三角貿易の中継貿易港として発展。
- 現在のインドネシアや中国などから多くの移民が渡来し、現代の多民族国家の起源に
- 現地人(マレー系)と貿易で巨額の富を得た移民との扱いはひどいものだった
- このころにイギリスより競馬がもたらされた(今もなおシンガポールでは競馬は人気です。)
- 第二次世界大戦で日本の侵略がするまではイギリスの植民地として機能
- その後は前回をチェックしてください
いかがでしたか。
意外にというより、知らないことだらけだったと思います。
しかし、
これだけおさえておけば、シンガポールの歴史は大丈夫です。
シンガポールの歴史をもっと知りたいという方は、シンガポール国立博物館に行ってみてください。
本を読んで勉強したい方はこちら
インターンツアーでも、もちろん行きます。
観光だけでなく、シンガポールにせっかく行くのであれば、こういうことも知ったうえで行くと新しい発見や気づきが増えると思います。
今日はこんな感じで締めさせていただきます。
では、次回をお楽しみに。
LeaGLOメディア事業部
岡本
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ただいま第4期海外インターンに向けて準備中なので、上記サイトは第3期生募集時のものとなります。あらかじめご了承ください。
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シンガポールの歴史~これだけは押さえておこう編~
みなさん、こんにちは。
先日のはてなブログでは、シンガポールの地理的情報をお届けしました。
今日は、シンガポールの歴史をお届けします。
シンガポールという国は、近年の急速な発展によって注目が集まっているというのは、間違いはないと思いますが、シンガポールの歴史を振り返ると、シンガポールという国は昔から注目されている国なのです。
そして、シンガポールの歴史を知らない人は多いと思います。
では、シンガポールの歴史を知ってなにかメリットはあるのか。
あります。断言できます。
良くも悪くもシンガポールと日本のつながりがあるからです。
日本人として、知っておかなければならないことがあるからです。
加えて、シンガポールという国はなぜ発展できたのかが、歴史を見ればわかるからです。
ここでは、一つ一つ詳しい歴史の出来事は書きません。(次回もう少し詳しくかいていきます。)
そのかわり、いかにシンガポールという国は昔から世界中の人に注目されてきたかを歴史的にひも解いていきます。
前置きが長くなってしまいましたが、今日は3つの観点から書いていきます。
①シンガポールは昔からアジアのハブであったのか
- みなさん、まずシンガポールの位置は把握できていますか?そう、シンガポールという国は、ちょうど船便の中継港としてちょうど良い位置にあるのです。
- それゆえに昔からいろんな人が、この地で争い、支配を繰り返していました。(詳しいことは次回書きます。)
- 特に大国で初めてこのシンガポールの地理的重要性に注目したのがイギリスです。シンガポール建国の父とも呼ばれるイギリス人のラッフルズがシンガポールの開拓を進めました。
- その後イギリスの元、シンガポールはその地理的優位性を活かされ、イギリスの植民地ではありますが、発展していきました。
- その地理的優位性により、イギリスの東南アジアの植民地拠点となりました。
昔の人もシンガポールの地理的重要性に気づき、シンガポールを利用しようと考えていました。
そのシンガポールという国の地理的優位性を最大限に生かしたのが後述のリー・クアンユーだと私は思います。
②日本とシンガポールのつながり
日本とシンガポールは切っても切れない関係にあります。
それは、第二次世界大戦中に、日本がシンガポールを占領したことです。
この占領について簡単に以下にまとめさせていただきます。
- 第二次世界大戦中の1942年、日本軍はシンガポールを陥落させました。日本軍は、抗日分子として中華系住民を大虐殺しています。シンガポール側によれば、5~10万人とも言われています。
- シンガポールはイギリス海軍の東南アジアの植民地拠点として、陸軍を駐屯していました。そこを叩くことで日本軍は、イギリス軍に大打撃を与えようと考えたゆえに実行されました。
- 占領後は、日本風の名前としてシンガポールは「昭南島」という名前がつけられました。
この事実は、あまり知られていないことです。
特にこの事実はインターン参加者も知らない人も多い、おそらくほとんどの学生が知らないと思います。
しかし、私たち日本人は(特に私を含め若者は)その事実を知っておかなければならないと思います。
戦争のキズというものは永遠になくなることはないと思いますが、そのキズを知ることは今を生きる私たちができることです。
キズを知るというのは、決して消毒液でキズを癒すという単純なものでなく、キズ跡を見てなぜそのキズができたのかということを知ることだと私は思います。
つまり、それが歴史を知るという行為そのものだと思います。
③シンガポールの今昔
シンガポールという国は、昔から注目されてきたとここまで豪語してきましたが、昔は本当に貧しい国でした。
真の意味で、その地理的優位性をうまく生かし、発展してきたのはここ最近の話です。
シンガポールの建国から今日まで、軽く歴史を振り返ってみましょう。
- 第二次世界大戦終了後、日本の敗戦とともに、旧宗主国のイギリスに統治権が再びわたりました。しかし、地元住民の反感は大きいうえに、イギリスは先の大戦で疲弊していて、このマレー半島に兵を送る余裕がありませんでした。
- その後、独立運動の成果が実り、1963年マレーシア連邦として独立しました。マレーシア連邦内で、与党と野党の対立が激しく、ついに与党である統一マレー国民組織と野党であるシンガポールの人民行動党がお互いの政治基盤を奪いあう選挙戦によって関係がより悪化してしまいます。
- 1965年、ラーマン首相とみなさんご存じのリー・クアンユーの両首相の合意の元、シンガポールはマレーシアから追い出される形で分離独立を果たしました。
- その後リー・クアンユーの強力なリーダーシップの元、1970年代から、目覚ましい高度経済成長を示し、国際金融センターとして発展。ここから、真の意味でのアジアのハブとしての役割を最大限に利用してきたことがよくわかります。
その後はみなさんご存じの今のシンガポールです。
この間にも幾多のストーリーがあって今のシンガポールができあがっているのは間違いないのですが、そこまで書いてしまうとよくわからないことになるので、割愛させていただきます。
シンガポールという国または地域の誕生については次回書いていきたいと思います。
時系列が真逆ですが、今回は先にざっくりとこれだけは知ってほしいことを書かせていただきました。
もっとシンガポールの歴史を知りたいという方は、次回のブログをお楽しみに。
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岡本
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